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文化財を生かす 被災施設の奮闘(中) 救う 価値の「修復」、これから

10万点を超える毛利コレクションが収まる石巻市博物館の収蔵庫。資料と情報を結び付ける再整理作業の先は長い

 2011年4月、東日本大震災で被災した文化財を救出、修復する文化庁の「文化財レスキュー」が始まった。

■地道な作業続く

 東松島市宮戸の市奥松島縄文村歴史資料館では6月に始動した。発掘した土器や動物の骨などコンテナ約650箱分の考古資料を土砂の中から回収し、1年半かけて一つ一つ洗った。

 資料の再整理はさらに根気を要した。発掘地や出土層の異なる資料が津波で一緒くたになった。土器に直接メモしていた情報が洗浄作業で消えたり、元々記述が足りない古い資料もあったりと、めどが付くまで4年がかかった。元館長の菅原弘樹さん(62)は「とにかく地道な作業だった」と振り返る。

 石巻市南浜町の石巻文化センターでは11年4月、学芸員らが館内からかき出した土砂をふるいにかけていた。収蔵品を見つけ出すためだ。彫刻の破片や小さな民具などを泥の中から回収した。

 レスキュー事業では傷んだ絵画や民俗資料を保全、補修するため、全国の美術館や研究機関に送った。資料群としては約2000件で、総数はおよそ13万点。全てが市に返却されたのは12年後の23年6月だった。

 長い年月をかけてレスキュー事業は完了したが、文化財が本来の価値を取り戻したとは言えない。

■現物と情報照合

 文化センターの収蔵品は、後継施設として21年11月に開館した市博物館に引き継がれた。

 同市の歴史研究家毛利総七郎(1888~1975年)らによる資料群「毛利コレクション」も救出されたが、調査・撮影データが津波で消えた。土器や古鏡、マッチラベルなど10万点を超える現物はあっても、それがどんなものなのかが分からない。

 学芸員の泉田邦彦さん(34)は辛うじて残った紙の調査記録などを頼りに、現物との照合を進める。記録が失われたものも含め約9万4千点はリスト化したが、写真撮影はほぼ手つかずだ。「やるべきことはまだまだある」

 専門は中世史で、古文書などの文献を調査してきた。毛利コレではこれまで注目されなかった発掘誌や収集仲間が交わした書簡を読み解き、資料入手のいきさつや収集家同士の交流など新たな歴史にも光を当てる。「物を手に取り、いろいろな角度から分析して初めて分かることがある」。資料を残し、情報を記録することが次の発見につながる。

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