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震災遺族、交流の軌跡 御巣鷹の尾根から(上) 継承 安全な社会へ種をまく

 520人が亡くなった日航ジャンボ機墜落事故の発生から39年がたった12日、群馬県上野村の現場「御巣鷹の尾根」で、東日本大震災で七十七銀行女川支店に勤めていた長男の健太さん=当時(25)=を亡くした田村孝行さん(63)と妻の弘美さん(61)が慰霊登山をした。夫妻は事故遺族と悲しみを共有し、次世代への伝承を担う若者と交流を深めてきた。そこで生まれたつながりを力に変え「安全な社会」を求めて活動し続ける。登山に同行し、その姿を追った。(漢人薫平)

学生らとともに慰霊登山に臨んだ孝行さん(右から2人目)=12日午前9時50分ごろ

 健太さんは震災当時、支店長の指示で屋上に避難して津波に襲われた。安全と信じた企業管理下でわが子を失った田村さん夫妻は、企業防災の重要性を訴えてきた。自分たちと同じく、企業に安全を求めてきた日航機事故の遺族に共感し、2015年から登山に参加している。

■山頂で鎮魂祈る

 12日午前9時ごろ、御巣鷹山の登山口に立った田村さん夫妻の元には、若手教員や記者を志望する学生ら10人が集まった。慰霊登山当日は天気が不安定になることが多いというが、この日は快晴。ふもとの気温は34度と高かったが、木陰には涼しい風が吹いた。一行は山頂の墜落現場を目指して登り始めた。

 登山道は約1時間の道のり。田村さん夫妻は慣れた足取りで山道を歩いた。学生らは道中の碑や看板、木漏れ日の景色に時折足を止めながら、傾斜の険しい道を一歩一歩踏みしめた。

 初めて慰霊登山に臨んだ立命館大4年の三井滉大さん(22)は「道が舗装されていなかった事故当時は、救助や報道の人はどうやって現場にたどり着いたのだろう」と思いをはせた。

 山頂付近の「御巣鷹の尾根」では、空の安全を願う「昇魂之碑」前で慰霊行事が開かれた。多くの遺族に加え、他の災害や事故の遺族も集った。犠牲者への思いを込めて童謡「しゃぼん玉」を歌いながら、シャボン玉を空高く飛ばした。弘美さんは「これからも私たちを見守ってほしい。この思いが届いているといいな」と空を見上げた。

 幼い子どもを連れた遺族の姿も多かった。子どもたちも笑顔でシャボン玉を吹いたり、碑の前で手を合わせたりした。事故から39年がたち、高齢で参加が困難になった人も少なくない。一方、事故の記憶や追悼の思いを継承しようと、子や孫の世代が代わりに参加する様子も目立った。

■将来の命守って

 田村さん夫妻も、震災の教訓を次世代に引き継ぐ役割を果たそうと努めている。全国の事故や災害の教訓を若者と学び合う「まなびの広場」を主催。学生の登山への参加もその一環だった。

 「これは種まきだ」と孝行さんは言う。「きょう見聞きしたことを記録に残し、将来の命を守る報道や教育につなげてほしい」

 2月に田村さん夫妻と出会い、震災報道に関心を持ったという創価大4年岡本珠梨さん(22)は「現場に来たからこそ感じたことを伝え、安全な社会を求めて活動している人の力になりたい」と決意を固めた。

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