子育てと介護の縁側・今日も泣き笑い(6) メメント・モリ 死の恐怖、友が和らげる
【石巻市・柴田礼華】
最近、4歳の長女あま音が寝る前になると「死ぬの怖いー」と泣き出すことがあります。あまりにもひどく泣き叫ぶもので、彼女が通う幼稚園の先生にお便り帳を通じて相談したり、死ぬのが怖くて若い頃に本気で不老不死を研究しようと思っていたという友人に話を聞いてみたりして、彼女の気持ちを理解しようとしています。
■父子で似た気質
私はどちらかというと「わが生涯に一片の悔いなし」というタイプで、死ぬのが怖くて泣いたこともなければ、年を重ねることにもあまり抵抗がないので、なかなか彼女の精神状態を完全に理解してあげることは難しいのです。
なぜ彼女が死の恐怖にとらわれるようになったのか、二つの理由が考えられます。
一つ目は夫の気質を受け継いだこと。夫が3歳の時、大好きだった祖父(通称じじちゃん)といつものように同じ布団に入り、ふと「じじちゃん、死んだらどうなるの」と聞いた時、「何もないよ」と言われたそう。何もない、誰もいない、ただ一人の世界を想像したとき、ものすごい恐怖に襲われたそうです。
それ以来、何かしらの条件がそろって死について考える機会があると、不安で不安で苦しくて、一種のパニック状態になることがあるそうです。おそらく長女は夫と似た気質を持って生まれたのではないかと思われます。
二つ目の理由は、高齢の祖父母と暮らすことで、大きな病気、入院など、大好きなおじいさん、おばあさんが具合を悪くする姿を何度も目にしたり、大人たちが「今回危ないかも」と死を連想させるような話をしたりしているのを耳にしてきたことが考えられます。
私や夫が「疲れて死にそうだー」と冗談で口にするだけでも「死ぬって言わないで!」と注意してきたり、「もう少ししたら5歳になるねー」と話しかけると「大きくなるの嫌だー。死にたくないから大きくなりたくない」と過剰な反応をしたりすることもしばしば。
そんな長女を見て、これってものすごく生き物としてまっとうな反応なのかもしれないと思うようになりました。
■祖父母から学ぶ
現代社会は子どもたちが本当の死について触れる機会がかなり少なくなっている気がします。鶏や豚を殺して肉にするところなんて、ほとんどの子どもが見たことないでしょうし、魚も1匹丸々さばいて食べる機会もあまりないと思います。
人の死の見送り方も、昔は自宅でお通夜やお葬式を挙げるのが当たり前だったのが、今では葬儀場で執り行うのが当たり前ですし、そもそもその前段階の病気の人や介護が必要な人を自宅でみること自体も少なくなっているように思います。
そういった点では、長女は同居する祖父母から「メメント・モリ」(意味・死を忘れることなかれ)を日々学んでいるのかもしれません。
この前、長女の親友の女の子に「最近あま音さんが死ぬの怖いって泣くんだよ。どうしたらいいと思う?」って聞いたところ、「私は120歳まで生きるから、死ぬのはまだまだずっと先だから。あまちゃんもずっと生きるから大丈夫だよ」と言ってもらって、少し恐怖心は薄らいできたようです。持つべきものは友ですね。
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