滔々と 私の大河 > 須能邦雄さん 第3部 水産大時代編(3) 自慢の仲間 留学生と出会う
東京水産大(現東京海洋大)の学生時代、夏休みなどを利用して漁業の実習に取り組んでいた。必修ではなく、学生が自主的に大学に頼んで受け入れ先を探してもらう。多くは先輩が行ったことのある場所になるのだが、私が初めて参加したのは2年生の夏だった。
実習先は青森県深浦町。同級生のインドネシア人留学生テレスナナ・ケデル君と一緒に向かった。彼は母国にいる父が亡くなり、学生をしながら弟たちの学費を送らなければならず、苦労が多かった。賠償留学生で、留学生が暮らす「インドネシア会館」に住んでいた。われわれと同じようにアルバイトもしていた。
金銭的に普段の生活に困っているわけではないが、家賃が高かったらしく、私に「水産大の寮で暮らせないか」と相談をしてきた。寮の家賃が月5300円と安いので、1円でも多く家族にお金を送れると考えたのだと思う。
昔から世話好きだった私は、彼が困っている時によく助けていた。入寮の相談を受けた際は先輩に事情を話すなど生活のサポートをした。水戸市の実家に連れて行ったこともあり、浴衣を作って写真を撮ったことを覚えている。
卒業後は母国に戻った。その後、地元の水産高校の校長を務めたり、日本に研修生を送る事業に取り組んだりした。日本語も話せたので電機メーカーの代理店もしていたり、奥さんが日本人でインドネシアの大使館にいた人だったりと、日本との縁を持ち続けていた。
日本人以上に母校愛(水大魂)が強く、大学の練習船「海鷹丸」がインドネシアを訪れた際には寄港の歓迎式を開くために積極的に動いてくれた。定期的に日本で健康診断を受けていたのだが、数年前に亡くなってしまい残念でならない。今でも自慢の仲間だ。
2人で実習に行った深浦は夏になるとタイがよく捕れていて、今はマグロも有名だ。当時は8月に2週間ほど滞在し、漁網や漁船を所有する漁業経営者(網元さん)の家にお世話になった。
期間中は定置網の手伝いが中心。朝は網を仕掛けた場所に船で向かい、入っている魚を船内に取り込む「網起こし」を行う。昼は番屋で待機し、夕方にも網起こしをする生活リズムだ。
魚は朝夕の日の出、日の入り前後の時間帯「朝マズメ、夕マズメ」に移動すると言われていて、1日に2度海に出ていたと思う。
1週間ほどが過ぎた時に町であったお祭りが印象に残る。相撲大会もあり、網元さんから頼まれて出場した。負けるまで試合を続ける勝ち抜き試合をした記憶がある。賞品で酒、お米、洗剤などをたくさんもらった。
深浦での実習が終わり、テレスナナ君は網元が北海道でサケの定置網をやるというのでついて行った。大学の夏休みは長いので、私は1度東京に戻ってから長崎(壱岐対馬)でも実習をしようと、現地の漁協にアポなしで向かった。
行けば何とかなる。受け入れをしてくれなくても観光をして帰ればいいと考えていた。漁協には水産大の学生で勉強のために来たことや、イカ船に乗りたいという目的を伝えた。結果、船が出る時間を教えてくれたので、宿に泊まりながら操業の実態などを調べた。
2年生の時は実習以外にも野球の全国大会で応援団長をするなど、さまざまな経験をした。世話好きであることや、じっとしているのがあまり好きではないという性格は、今も変わらないかもしれない。
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