子育てと介護の縁側・今日も泣き笑い(9) 不便だけど不幸じゃない 幸せの境地、たどり着く
【石巻市・柴田礼華】
「不便だけど不幸じゃない」。この言葉は、私の実母から教わりました。
私は4人きょうだいの第1子で長女。2人の妹の下に末っ子長男の弟がいます。
■妹に障がい残る
私のすぐ下の妹は、生後10カ月のころ、お風呂の残り湯に落ちて溺れ、一命は取り留めたものの、脳や身体に重篤なダメージを受けました。母や本人の熱心なリハビリ訓練により、体のまひや知的な障がいは残りましたが、今では自分で食事を取り、スマホも使いこなし、家から車で40分ほど離れたグループホームで元気に暮らしています。
私の母は元々博物館学の研究者を志すも、何の因果か26歳のとき、山口県の片隅で土建業とホテル業を営む家の長男に嫁ぐことに。新婚早々、義父のがんの手術と介護、夫の祖父の病気とみとりが相次ぎ、時を同じくして次々生まれる子どもたち。介護と子育ての合間に家業も手伝う怒濤(どとう)の20、30代を過ごしました。
子どもたちが大きくなり「これから夫婦で第2の青春を楽しもう」というラブレターを父からもらった直後、当の父が53歳で突然他界。そのまま家業を引き継ぎ、70歳になった今なお現役社長として爆走中です。母の人生を振り返ると、今の私の大変さなんてまだまだ序の口に過ぎません。
そんな母が口にした「障がいがあることは不便かもしれんけど、不幸じゃないんよ」という言葉が、最近じわじわと私の胸に響いています。
3年前、車の運転を卒業した義父。元々体育教師でファミリーカーに剣道防具を積み込み、県内外いろんなところを走り回っていた人が、かつてのように好きな時に好きなところに行けないのはなかなか不便そうです。しかし、免許を返納したことで、買い出しや病院の送迎は必ず家族の誰かが一緒に付いていくようになりました。私の夫である長男と2人で買い出しに出かけ、重いものは運んでもらったり、移動の車中では4歳の孫としりとりをしたり、1歳の孫におやつを食べさせたり、いつもにぎやか。私が送迎を頼まれた時は義父がお駄賃をくれるので私もハッピー。
義母は長年看護師としてバリバリ働き、定年退職後、徐々に緑内障が悪化。今では右の視力はゼロ、左目は残存視野が10%ぐらいなので、常に障子の穴から世界をのぞき見している状態です。また5年前にアルツハイマー型認知症を発症し、見えない、忘れるの二重苦で、こちらもかなり不便そうです。
■手助け感謝、常に
しかし、目が見えなくなったことで、移動する時は家族の誰かが手をつないで案内するようになりました。いつも「ありがとうね」と感謝の気持ちを忘れない義母。家の中で移動する際は口頭で誰かがガイドすることもあります。「トイレはそのまま真っすぐ7歩進んで左に曲がる!」「左手窓に沿って15歩進んでテレビの音がする方が寝室だよ」など、毎日スイカ割りコントのような光景が展開されています。この前は義姉が「体を45度右に向けてそのまま真っすぐ進んで」と案内していたら、「分度器持ってきてちょうだい」とお見事なギャグで返していました。
不便になったからこそたどり着ける幸せの境地が、今ここにあるのかもしれません。
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