子育てと介護の縁側・今日も泣き笑い(11) 記憶の不思議 孫の名前は正しく認識
【石巻市・柴田礼華】
義母レツさんは、秋田県雄勝町(現湯沢市)出身の87歳で、農家の8人きょうだいの4番目として生まれ育ちました。「手に職をつけて自立したい」と、高校卒業後は仙台にあった国立看護学校に進学。当時の女性の大学・短大の進学率は2割以下だったことを思うと、かなりの狭き門をくぐり抜けたエリートだったのでしょう。
■83歳で認知症に
実際レツさんの実家に行った時、仏壇の引き出しから、レツさんのお母さんが残していたと思われる小学生時代の通信簿が出てきて、中身はオール優! 初志貫徹し、看護師として長年勤め上げました。定年退職後に介護施設に再就職するも、緑内障の悪化で医療の世界の一線を退き、悠々自適な老後をスタートした直後、東日本大震災で石巻市門脇町にあった自宅を失いました。
考えてみると、震災後、今の家にたどり着くまでに5回も住まいが変わったことは、日々規則正しい暮らしを好むレツさんにとってはかなりのストレスだったことと思います。ようやく同市のぞみ野の防災集団移転団地の自宅で落ち着いた暮らしが始まり、しばらくした2019年、83歳で認知症を発症しました。
最近、脳トレと、楽しい会話の糸口として、レツさんの子どもや孫の名前のクイズをよくやります。3人の子どものうち「智子(さとこ)、良子」まではだいたい順調なのですが、一緒に暮らしている3番目の滋紀(私の夫)がなかなか出てきません。かなりの確率で「ひさし!」と答え、「それはレツさんの弟だよ」と毎度みんなに突っ込まれます。時には「ひさし! おさむ!」と自信たっぷりに答えますが、「どっちも弟だし、4人に増えてる!」と周囲は大爆笑。わざとじゃないかと思うほど、キレッキレのギャグを放ってきます。もちろん本人は真剣です。
■2人の声で判別
また一昨年、脳梗塞で入院して以降、自宅にいてもどこかに外出している感覚が消えないらしく、しょっちゅう「いつまでもここにいるのも悪いから帰りましょう」と言います。家族が「今ここはどこ?」と聞くと、ある日は秋田、ある日は山形、ある日は函館と、日本全国を旅する気分のようです。
そんなレツさんですが、不思議なことに一緒に暮らす4歳の孫のあま音と、1歳のしお音のことはきちんと覚えているのです。どちらも認知症発症後に生まれているので、本来定着しにくい新しい記憶のはずなのですが。もうほとんど目が見えない中で、2人の泣き声が聞こえると「抱っこしようか?」と声をかけてくれ、「あら、あまちゃんの声しか聞こえないけどしおちゃんは?」「今お昼寝中ですよ」というやりとりにもつながっています。
強烈な記憶は、何歳になっても、たとえ病気になっても、ちゃんと刻まれるものなんですね。
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