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防災教育の意義、再確認 石川・輪島市の小川教育長、震災遺構「大川小」を視察

 能登半島地震で甚大な被害を受けた石川県輪島市の小川正教育長が、石巻市震災遺構大川小を訪問した。学校管理下で児童・教職員計84人が犠牲になった場所で遺族の案内を受け、東日本大震災や能登半島地震の教訓を防災教育に生かす決意を新たにした。

遺構を訪れた人々と共に、佐藤さん(右)の案内を受ける小川教育長(右から2人目)

 同小6年生だった次女みずほさん=当時(12)=を失った「大川伝承の会」共同代表の佐藤敏郎さん(61)の案内を受けた。被災した校舎周辺を巡り、児童らが避難しようとした川沿いの高台への経路などを確認した。

 佐藤さんは震災時に教員を勤めていた女川町の学校での経験を例に、避難訓練の重要性を強調。「失敗を想定し、試行錯誤してこその訓練。生きるか死ぬかの一発勝負になる本番があることを意識し、本気で取り組まなければいけない」と語った。

 保護者らが「ここに逃げていれば助かった」と言う裏山にも登った。佐藤さんは「命が助かる未来まで想定しきることが防災だ。私たちの悲しみや悔しさを希望の材料にしてください」と訴えた。

 小川教育長は震災後、岩手県釜石市で防災教育について学ぶ協議会などに参加してきた。石巻市内への訪問は初めて。「自分の立場でできることを考え、行動に移していく。地元の教員も含め被災したわれわれこそ、東北の被災地で学び、本当に教訓を生かせているのか改めて考えなければならない」と話した。大川小は8日に訪問した。

被災3県教員らと交流会

小川教育長(奥右から2人目)と東北の被災3県の教諭が登壇したパネルディスカッション

 石巻市の公益社団法人「3.11メモリアルネットワーク」は、教員らを対象にした「防災学習・震災伝承実践交流会」を仙台市内で開いた。能登半島地震被災地の教育現場について現状報告があったほか、岩手、宮城、福島3県の学校関係者が事例を紹介し、参加者は防災教育の意義を再確認した。

 会場とオンラインを合わせ教員や教員志望の学生ら約120人が参加した。元日の地震で甚大な被害を受けた石川県輪島市の小川正教育長が登壇し、地震後の教育現場の対応や、自身が校長を務めた中学校での防災の取り組みを発表した。

 インフラの被害や、住民の避難所となった学校の状況を説明。中学生が安心して学べる機会をつくろうと実施した集団避難に触れ「多くの批判も受けたが、次に災害が起きても同じ選択をする」と強調した。同県能登町で石巻地方の有志が炊き出しを実施したことにも言及し、謝辞を述べた。

 2011年から3年間、校長を務めた同町小木中では、学校主催の防災訓練で生徒が住民の参加を働きかけたことを紹介。「実際に防波堤があるから安心なのではなく、子どもたちが住民の心の中に防災意識という防波堤を築いてくれたことこそが重要だ」と語った。

 東北の被災3県の学校に勤める教諭たちは、各学校での実践事例を報告した。宮城県からは多賀城高災害科学科の津守大智教諭が登壇。JR東日本との意見交換会を基に、生徒の考えが対策に反映されたことを例に挙げ「地域とつながったり、自分の意見が社会で生かされたりする経験によって子どもの自己有用感が育っていく」と力を込めた。

 パネルディスカッションもあった。「防災学習が命を守る行動につながるか」というテーマの議論で、津守教諭は「地域と共に体験的な学びに取り組むことは、生徒や家族の命を守ることはもちろん、顔の見える関係づくりにも役立つ」と主張した。

 交流会は7日にあった。会場で参加した東松島市赤井南小の小玉健斗教諭は「想定を超える震度の地震に襲われた輪島市の話が印象に残った。災害は必ずしも想定通りにはならないが、想定することは続けていかなければいけないと感じた」と話した。

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