子育てと介護の縁側・今日も泣き笑い(17) 亀の甲より年の功 時間かけて円熟味増す
【石巻市・柴田礼華】
2019年11月。私39歳、夫44歳、夫の父82歳、夫の母83歳の時、私たち夫婦に1人目の子ども長女あま音が産まれました。結婚から12年目のことでした。さらに3年半後の23年4月、次女しお音を授かりました。
われわれ夫婦は東京の大学で出会い、その後それぞれ地元の宮城と山口に戻り、私の実家の家業の関係で遠距離結婚をしておりました。結婚3年目、東日本大震災があり、石巻市門脇町にあった自宅は流されました。私は3日前まで石巻にいたものの、3月11日は仕事のため山口に戻っており、地震も津波も体験せずに済みましたが、避難所に入った夫は、目の前で笑顔をなくした子どもたちのために…と安心できる遊び場や居場所をつくる活動を始めました(その活動は今もNPO法人にじいろクレヨンとして継続しています)。
■紆余曲折の子宝
素晴らしい活動をしていることは理解していましたし、私も後方支援を続けていたのですが、お互い人に尽くすことを優先し過ぎて、夫婦仲はすれ違い。私は実家を選ぶか、結婚生活を選ぶかという状況まで追い詰められ、ついに震災翌年の1月、石巻に住むことにしました。
私は4人きょうだい、夫は3人きょうだい。一緒に暮らすようになれば、そのうち自然と子宝にも恵まれるだろうと思っていましたが、一向にその気配はありません。女性の妊娠率が下がる35歳までには何とかしたいと思い、地元の婦人科に通い始めました。それでも良い結果は得られず、結婚8年目にして岩沼市にある不妊治療の経験豊富な病院に通うことに。
その病院では、治療を受ける前に必ずパートナーと一緒に事前ガイダンスを受けるというルールがありました。それまでは「妊娠は自然に任せるべきだ」という主義だった夫も「不妊は治療可能な病気なのだ」という認識に変わり、積極的に検査や通院をするようになりました。年齢的にも高度不妊治療を勧められ、紆余(うよ)曲折ありながら、2人の子宝に恵まれました。
あんなに心待ちにしていたわが子の存在。しかも2人も授かることができて、これ以上幸せなことはないはず。それなのに、忙しない日々の中で「腰が痛い」「肩が痛い」「自由な時間が欲しい!」「布団で伸び伸び手足を伸ばして寝たい!」と叫びたくなる時があります。
■年齢相応の支援
長女が生まれた時は80代前半だった義理の両親たちも今は80代後半に。子育てをサポートしてもらえる範囲も変わってきて「あと10歳若ければ子育てをもっと手伝ってあげられたのになぁ」とつぶやく義理の父。
しかし、ふと思うのは、10歳若ければわれわれ夫婦は30代、義理の両親は70代で、みんな体力的には今より余裕があって、もっとパワフルに動けていたでしょうが、その分意見のぶつかり合いも激しかったはず。そして、お互いの生活を尊重するために別居を選択していたかもしれないなぁ。そうだとしたら、あま音としお音は今のように伸び伸びとおおらかに育っていただろうか。
発酵食品が時間をかけてまろやかになっていくように、私たちの家族関係も時間をかけて円熟味を増したことで、とがりの少ない穏やかなものになっているような気がします。
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