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わいどローカル編集局 > 鮎川・大原(石巻市)

 「わいどローカル編集局」は石巻地方の特定地域のニュースを集中発信します。22回目は「石巻市鮎川・大原地区」です。

牡鹿半島 雄大な太平洋、間近に

 石巻市の牡鹿半島は雄大な太平洋を間近に感じられるのが魅力だ。どこまでも広がる青い海は、季節や時間で表情が変わる。地元の人たちにお薦めの見どころを聞いた。秋の行楽シーズン、爽やかな風を感じながらドライブを楽しんではいかが。

半島を縦断するコバルトラインから見た夕日。沖に浮かぶ田代島や表浜漁港があかね色に染まった=21日午後4時45分ごろ、石巻市大原浜
牡鹿半島の先端にある「おしか御番所公園」からは、水平線と沖合に浮かぶ霊島・金華山の絶景を眺められる=10日午後0時30分ごろ、石巻市鮎川浜
半島の海岸線に沿うように広がる岩礁。波が打ち付ける音が響き渡っていた=21日午後3時15分ごろ、石巻市泊浜

稲の天日干し、続ける 大原・阿部さん

刈り取った稲を稲架に架ける阿部さん

 石巻市大原浜の農家阿部武和(たけかず)さん(73)は、今では珍しくなった、天日干しで稲を乾燥させる「稲架(はさ)がけ」でのコメ作りを続けている。

 2004年に父から稲作を引き継いだ。約20アールの水田で、ひとめぼれを家族で食べる分だけ作る。昨年は約500キロを収穫した。

 稲架は長さ3.3メートルのくいを30本地面に立て、横木をロープで結んで組み立てる。地区は風が強いため、くいを通常より深く差し込むなどして強度を高める。

 今年は9月末から10月初めに稲刈りをし、稲架がけを始めた。天気が良ければ干す期間は3週間ほどだが、今月は雨の日が多く、現在も干し続けている。阿部さんは「手間はかかるが、家族は機械で乾燥させたコメよりおいしいと言う。太陽の力だろうか」と笑う。

 東日本大震災では津波が集落や水田に押し寄せた。近隣で農業に携わっていた世帯の多くは地区を離れたが、阿部さんは水田を復活させようと決意。がれきを手作業で回収し、水田に真水を張ってかきまぜる「塩抜き」を繰り返した。

 震災後には大原小の児童が稲作を見学に来たことも。阿部さんは「稲架がけをする農家は少なくなった。稲作の若い担い手も減少しているので、やりたいと言ってくれる人がいたら技術を伝えたい」と話した。

水田の脇に立つ稲架。例年3週間ほど稲を干す

交流の場守り続ける 理容店「BARBERタケダ」

なじみ客の髪を切る忠雄さん

 プレハブの店内に、はさみの小気味よい音と笑い声が響く。石巻市鮎川浜の理容店「BARBERタケダ」。ともに理容師の武田忠雄さん(76)と妻秀子さん(73)は半世紀以上、牡鹿地区の人々の髪形を整えながら、まちの変遷を見守ってきた。

 東京での修行を終えた忠雄さんが鮎川漁港近くに店を設けたのは56年前。当時の鮎川浜はコバルトラインが開通したばかりで、金華山詣での観光客が大型バスで大挙していた。捕鯨で栄えたまちは家々がひしめき、理容室は10軒以上もあった。「同級生に店を支えてもらった」と懐かしむ。

 その店は東日本大震災の津波で、自宅と共に流失した。ひげをそれずにいる住民の役に立ちたいと思っていた2週間後、当時の市牡鹿総合支所長に頼まれ、支所の一角に臨時店舗を開設。店を再建するまでの半年間で約800人の髪を無料で切り、各浜の避難所にも出向いた。散髪をした人は「さっぱりした」と喜び、張り詰めていた表情が緩んだという。

 甚大な被害を受けた鮎川浜は、住民の多くが内陸に転出した。そうした中でも、なじみ客が仙台市や石巻市中心部などから足を運ぶ。東松島市小野から約1時間かけて通う水産会社会長の大森春雄さん(75)は「話さなくても思い通りに切ってくれる」と絶大な信頼を置く。

 店ではカット、ひげそり、耳掃除まで1時間かけて丁寧に行う。料金は3000円。震災後、店を再開した際に値下げしたままだ。忠雄さんは「あの頃はみんな大変だったから」と笑い、値上げの予定はない。

 ヘアセットを終えると、コーヒーを入れて会話に花を咲かせる。「昔の床屋さんはお茶飲みだけに来る人もいたんだ。そういう場であり続けたいね」と忠雄さん。体が動く限りは秀子さんと店に立ち、交流の場を守り続けるつもりだ。

散髪後に利用客と談笑する忠雄さん(中)と秀子さん(右)

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 今回は小笠原新聞店と連携し、相沢春花、渋谷和香、相沢美紀子の各記者が担当しました。次回は「東松島市小野地区」です。

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