子育てと介護の縁側・今日も泣き笑い(20) 異変に気付くとき 認知症、孫の存在が光に
【石巻市・柴田礼華】
5年前の2019年、気持ちのいい春。家の近所を散歩していた義母レツさんが、1時間以上たっても戻ってこないと、義父せんじい(先生おじいさんの略)から電話がありました。夫にも連絡が行ったらしく、夫と私が車で近くを探すことにして、途中でレツさんが帰ってきた時のためにせんじいには自宅で待機してもらうことに。
当時のレツさんは緑内障のため右目の視野が一部欠損しているものの、まだ1人で散歩に出掛けたり、庭の草取りをしたり、料理、洗濯、家族の分も家事を毎日丁寧にやってくれていました。
■帰り道分からず
しばらく家の付近を探していたら、せんじいから私の携帯に「レツさんが無事に見つかった」と連絡があり、急いで帰宅。足腰達者なレツさん、お散歩の途中で行ったことがない方角にどんどん進んでしまい、帰り道が分からなくなって、近くにあった福祉作業所に助けを求めに入ったようです。混乱していたせいもあるのでしょうが、家の住所や電話番号を思い出せず、作業所の方が警察に連絡を取ってくれ、そうこうしているうちに家の電話番号を思い出すことができ、せんじいに電話がかかってきたという次第でした。
せんじいから「これから1人で出歩いたらだめだよ」ときつく伝えられ、しょんぼりしていたレツさん。
思えばその前から少しずつ認知症の初期症状と思われる兆候があったように思います。お料理が毎日のように同じ献立になったり、みそ汁や吸い物の味が安定しなくなったりしました(実家の祖母も認知症を発症し始めた時、同じ献立が続いたり、味が安定しなくなったりという全く同じ現象が起きていました)。汚れたままのレツさんの下着が洗濯かごに入っていることも増え、きちょうめんなレツさんらしからぬ状況に、せんじいにそれとなくレツさんの認知症外来の診察を勧めました。
元々看護師として、医療従事者としてばりばり仕事をしてきたレツさん。当時は認知症の自覚も全くない状態でしたので、検査を受けるのには相当な抵抗があったと思います。
■父が説得、検査へ
私の第1子の出産予定日が1カ月後に近づいてきたその年の10月、せんじいが「赤ちゃんが産まれる前に、念のために一緒に検査に行こう」とうまく誘ってくれて、認知症外来で検査をしたところ、レツさんはアルツハイマー型認知症という診断が出ました(ついでのつもりで検査を受けたせんじいも副鼻腔炎が判明)。
認知症の診断を受けて5年。その間も新型コロナウイルスが大流行したり、レツさん自身が脳梗塞になったりと、さまざまなアクシデントはありましたが、いまだに家族と共に自宅で暮らせているのは、一緒に暮らす孫の存在が大きいと思います。
ほとんど目も見えなくなっているレツさんにとって、5歳のあま音と1歳のしお音の、泣いたり笑ったりするにぎやかな音が、暗い世界を照らす明かりになっているのではないでしょうか。
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