閉じる

滔々と 私の大河 > 須能邦雄さん 第5部 サケマス船団長編(1) 昔からの目標、船団長に選出

念願だったサケマスの船団長になった須能さん。現場では一体感を大事にしていた=1986年
須能さんが群馬県のゴルフ場でアルバトロスを達成した記念の盾

 大洋漁業(現マルハニチロ)でサケマスの母船に乗るようになってから5年後の1986年、43歳だった私は念願だった船団長になることができた。子どものころから目標の一つとしていたので、話が来た瞬間は、やはりうれしかった。

 船団長は会社の役員会で決まり、40代の中から選ばれていた。50、60代が多い漁労長たちとうまく仕事をしていくには一定の経験が必要。30代では難しいのか、歴代の船団長はみんな40代だった。

 私が選ばれたのはサケマスの独航船の乗船歴が5年と長く、米シアトル駐在員歴もあったからではないか。直接言われたわけではないが、どんなことにも対応できるオールマイティーなキャリアが評価されたのではないかと思っている。

 船団長になると、仕事のやり方を決めることができた。当時の大洋漁業のサケマス漁は、子会社の函館公海漁業、グループ会社とは別の宝幸水産、大洋漁業の3社で行っていた。

 これまでの船団長は大洋漁業主体で仕事を行っていた。私は「せっかく3社でやっているのに発言権もないのでは一体感が生まれない」と感じていたので、就任してすぐ、2社の人たちにも積極的に漁のやり方について意見を求めた。

 駐在員時代は、どんな会議でも出席者には対等の立場で発言してもらった。少数派の意見にもしっかり耳を傾けるなど、一体感を大事にしてきたことが、船団長の仕事にも影響していたと思う。

 帰りの航海では大宴会を開き、漁をいい雰囲気で終われるようにした。宴会をするかどうかも船団長の権限で決めていたので、私は迷わず開催を決断。酒を飲んだり、歌を歌ったりして親睦を深め、会社の力関係を考えず、同じ仕事をする仲間だという意識を持ってもらった。

 仕事とは別の話になるが、船団長になった86年、ゴルフで生涯自慢できる記録をつくった。サケマス漁が終わった8月、仲間8人と群馬県にあるノーザンカントリークラブ赤城ゴルフ場に行った際、ホールインワンよりも難しいといわれる「アルバトロス」を達成した。

 アルバトロスとはパー4のホールを1打(ホールインワン)、パー5のホールを2打といったように、規定打数より3打少なくホールアウトすることだ。高い技術やたぐりよせる運が必要で、プロの試合でもめったに出るものではない。

 自分はパー5の2打目でカップインしたが、達成した日は特別調子がいいわけではなく、コースもジグザグで真ん中に大きな杉の木があった。セオリーとしては木をさけるように打つべきだと思うが、私は木を越えるように打つ選択をした。

 ボールが良く飛んで探しにいったが、グリーン上にはなかった。「遠くに飛ばし過ぎたかな」と思ったが、仲間からカップの中にあると聞かされ、あっけにとられた。

 振り返ると、サケマスの漁が終わった後の出来事なので、仕事のことを考える必要がなく、余計な力が抜けていたからというのが大きいと感じている。

 その後、ゴルフ雑誌に証明書を送って、記念のお酒と盾をもらった。証明書ではゴルフ歴の欄があり10年にしたが、実際はもっと長い。下手だと思われたくなかったので、少しだけ短くさせてもらった。

 盾は今でも大事にしていて、ゴルフの話になった際は少し自慢させてもらっている。

関連リンク

石巻かほく メディア猫の目

「石巻かほく」は三陸河北新報社が石巻地方で発行する日刊紙です。古くから私たちの暮らしに寄り添ってきた猫のように愛らしく、高すぎず低すぎない目線を大切にします。

三陸河北新報社の会社概要や広告などについては、こちらのサイトをご覧ください ≫

ライブカメラ