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変化続けるまち蛇田今昔 豊かな農村、市街地に インター開通で商業集積加速

1972(昭和47)年の蛇田ニュータウン(石巻市提供)
1972(昭和47)年の蛇田ニュータウン(石巻市提供)

 2025年は巳(み)年。蛇は脱皮することから、復活や再生の象徴とされる。豊かな農村地帯だった石巻市蛇田地区はニュータウンとして市街地化が進み、11年の東日本大震災後は被災住民の移転先となるなど、街並みが一変した。常に変化し続けてきたその歩みは、脱皮を繰り返す蛇のイメージと重なる。

 「蛇田」の地名は、蝦夷征伐で敗れた大和朝廷の田道将軍が大蛇となって敵を倒したという伝説が由来とされる。ほかにも、ツバメが落としたウリの種を植えると大きな実がなり、その中から多くの蛇が出てきたため「蛇塚」に埋めたことから一帯の村名が「蛇多」となり、後に蛇田になったとの説がある。

 旧蛇田村は1955年、石巻市と合併。高度経済成長期に水田を埋め立てニュータウンを造成し、「向陽町」の街区が誕生した。新住民の増加に伴って市営住宅が建設され、道路整備や公的機関の事務所開設も進んだ。

 98年に三陸沿岸道石巻河南インターチェンジが開通すると、インター周辺で商業施設や医療施設の集積が一気に進んだ。震災後は沿岸部の津波被災者の集団移転地となり、人口が急増。震災復興に伴う土地区画整理事業で、茜平、あゆみ野、のぞみ野、わかばといった新町名が生まれた。

 交通面では、2016年にJR仙石線の「石巻あゆみ野駅」が開業。同駅周辺にも年々、新たな住宅地が広がっている。

【蛇田地区の主な出来事】 
1955 石巻市と旧蛇田村が合併 
  73 向陽町にニュータウン造成 
  98 三陸沿岸道石巻河南インターチェンジ(IC)開通 
2006 石巻赤十字病院が湊地区から移転 
  11 東日本大震災 
  12 新蛇田地区の被災市街地復興土地区画整理事業起工式 
  15 JR仙石線全線復旧、仙石東北ライン開業 
     三陸沿岸道石巻女川IC開通 
     新蛇田地区など新市街地の「まちびらき」 
  16 仙石線石巻あゆみ野駅開業 
  18 県石巻合同庁舎が中里地区から移転 
  20 市蛇田支所・公民館が移転新築し利用開始

ぶらり5000歩の旅

 石巻地方随一の人口密集地域、石巻市蛇田地区。大型ショッピングモール、高速道路、ロードサイドの大型店がそろい、飲食などの個人店も個性豊か。今年のえと「へび」にちなみ、蛇田の魅力に触れ、そこで暮らす人たちに会おうと各スポットを歩いて巡ってみた。(及川智子)

蛇田歩道橋の壁画。子どもたちが描いた絵を徳水さんがつなげ、サン・ファン・バウティスタ号が石巻から冒険に出発し石巻へ戻ってくるというストーリーを描いた

 県道石巻鹿島台色麻線(通称・蛇田バイパス)に架かる蛇田歩道橋から旅をスタート。階段や欄干に、かつての蛇田小児童の下絵を基にしたステンドグラス風の壁画がある。「サン・ファン・バウティスタ号の大冒険」などをテーマに制作され、1997年に完成した。

 同校で図工の専科教諭や担任を務めた市教委の社会教育委員、徳水博志さん(71)は当時を振り返り「一人一人の絵は小さくても、みんなでつなげて絵巻風にするとこんなことができる-と子どもたちが達成感を感じていた」と懐かしそうに語る。

 ステンドグラスは日差しを受け、刻一刻と表情を変える。朝日や夕日を浴びる時間帯が最も美しく、お勧めという。

▼566歩

 歩道橋から北へ400メートルほど進むと、市内一の児童数を誇る蛇田小が見えてきた。「蛇田の好きな所は?」。巳年生まれが多い5年生のうち1組の児童に聞いてみた。

 「公園がいっぱいあって、すれ違う人が『こんにちは』と言ってくれる」と木村璃乃愛さん(11)。小島璃子さん(10)は「みんな親しみやすくて困っている人を助けてくれる」、西條暖陽君(11)は「小学校は児童が多くて友だちがたくさん。田んぼも多くてコメがおいしい」とそれぞれ回答。

 他の子どもたちも「大きな建物や店がある」「遊ぶ所が多い」「景色がきれい」と元気良く答えてくれた。

蛇田地区の魅力を教えてくれた蛇田小5年1組の子どもたち

▼2212歩 

 蛇田小の北西約1キロ、あけぼの南公園には同地区出身の人権派弁護士、布施辰治(1880~1953年)の顕彰碑が建てられている。日本の植民地統治時代、朝鮮の独立を訴えた人々に寄り添い、弁護を無償で引き受けるなどした。毎年、命日である9月13日ごろ、その功績をしのぶ「碑前(ひぜん)祭」が開かれている。

▼3577歩

 蛇田地区を象徴する大型商業施設の一つ「イオンモール石巻」に着いた。食品や衣類、雑貨、書籍と何でもそろい、映画館もある。オープンは2007年3月。三陸沿岸道石巻河南インターチェンジからすぐの好立地で、市内外から訪れる買い物客でいつもにぎわっている。広大な駐車場が車で埋め尽くされている風景は、いつ見ても圧巻だ。

石巻市内外から買い物客が訪れるイオンモール石巻。広い駐車場が車で埋まる

▼5067歩

 のぞみ野地区へ。住宅街の一角に「焼きそば」と書かれたのれんを見つけた。石巻焼きそば専門店の「HASEBE」。店主の長谷部久恵さん(53)が17年、東日本大震災で被災した渡波地区で焼きそば店を営んでいた両親と開店した。

 注文したのは「特製焼きそば」。一口頬張ると、優しいだしの味が広がる。キャベツなどの具材は混ぜずにそばの上に載せ、目玉焼きと一緒に美しく盛り付けられている。渡波時代から通う常連もいるといい、長谷部さんは「石巻焼きそばをずっと提供していきたい」と笑顔で話した。

特製焼きそばを提供する長谷部さん。店には渡波時代からの常連客も足を運ぶ

▼5353歩

 のぞみ野地区には震災後に整備された災害公営住宅が立ち並び、広々とした公園もある。市によると、蛇田地区全体の整備戸数は1229戸。

 新立野第1復興住宅の前で変わり続ける街並みを眺めた。あと10年、20年したら、どんな風景が広がっているのだろうか。5000歩超歩いた心地よい疲労感の中、そんなことを考えた。

災害公営住宅が立ち並ぶのぞみ野地区。震災後、景観が大きく変化した

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