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日本製紙×コバルトーレ 監督対談(上) 地方チーム、どう戦う

リラックスした表情で語り合う葛野監督(左)と伊藤監督。話題はチーム強化や地域活動、今季の目標など多岐にわたった=石巻市千石町の三陸河北新報社
伊藤大造(いとう・たいぞう)氏、1966年奈良県生駒市生まれ。近大卒。89年に大昭和製紙(後に日本製紙と合併)入社。三塁手として4年間活躍した。2009年に日本製紙コーチとなり、14年に監督就任。同年の日本選手権、15年の都市対抗野球にチームを導いた。昨年、8年ぶりに監督再就任。58歳。
葛野昌宏(くずの・まさひろ)氏、1975年札幌市生まれ。登別大谷高卒。94年に平塚(現J1湘南)加入。その後、北信越リーグ新潟(現J2新潟)、JFLジャトコ、同佐川印刷でプレーし、2006年に現役引退。佐川印刷コーチを経て2014年~17年に同青森監督、18年にJ3八戸監督。23年から女川監督。49歳。

 昨季、社会人野球で都市対抗と日本選手権の二大大会に同一シーズンでの出場を果たした石巻市の日本製紙石巻硬式野球部。将来のJリーグ入りを目指し、東北社会人サッカーリーグ1部で奮闘する女川町のコバルトーレ女川。巳(み)年に飛躍を期す2チームの伊藤大造(日本製紙)、葛野昌宏(コバルトーレ)両監督が対談した。話題は、チーム強化や地域貢献事業、東日本大震災からの復興との関わりなど多岐にわたった。(聞き手は都築理、相沢春花)

   ◇

-昨季を振り返って。 

 伊藤>久々の現場復帰でブランクがあり、まずは監督の自分が一生懸命勉強するつもりでやった。 
 1年目から社会人野球の二大大会に出場できたが、チームがいきなり強くなったわけではない。前年までのスタッフの努力があり、選手の間にも、絶対勝ちたいという強い気持ちがあった。けが人が少なかったこともある。 
 ただ、昨季できたことが今季うまくいくとは限らない。さまざまな準備を進めていく。 

 葛野>昨季はJFL昇格に届かず、選手も私も非常に悔しい思いをした。全国のレベルと比較したらまだまだ力が足りない。失点はリーグ最少に抑えたものの、なかなか点が取れなかった。今後につながる課題だと思っている。 
 その一方、昇格後を見据え、若手の育成も念頭に置いてシーズンを戦った。その結果、若い選手や新卒の選手が夏以降どんどん試合に出るようになった。一定の手応えはあった。 

-両チームとも石巻地方に本拠を置く。競技レベルやプレー環境など中央とは差があるのは否めない。どのように戦うか。 

 伊藤>選手のリクルートの面では、明らかに中央のチームが有利。それでもガチンコで試合をすれば、中央のチームが相手でもだいたい五分五分には持ち込める。チームの運営予算も選手数も違うけれど、勝つチャンスは十分ある。 
 昨季は、とにかく試合経験を重ねることを第一に考えた。これまで年間50試合ほどだった練習試合を増やし、公式戦を含め90試合ほどにした。異例ではあるが、大学生チームとのダブルヘッダーも組んだ。いい選手が真剣勝負をたくさんすれば、勝手にうまくなるもの。データを蓄積することで自身の課題を整理できるし、さまざまな状況に対応できる力もつく。 

 葛野>選手のリクルートには苦労している。やはりレベルの問題はある。例えば関東リーグ1部は、毎年どこが優勝するか分からないほど各チームの実力が伯仲している。東北1部は上位チームのレベルこそ上がっているものの、下位チームとの試合では大差になりがちだ。 
 志が高い選手を呼び込むためには、環境面や待遇面などチームが努力しなければならない部分も多い。その上で、レベルの高い環境を求めるか、より出場機会を得られるチームを選ぶかは選手次第だ。女川では、サッカーと仕事の両立にやりがいを感じていると話す選手も多い。 
 チームがJFLに上がれば、やはり選手に対する注目度も上がる。そこで活躍すれば、さらに上部のリーグへの移籍につながるなど選手自身のサッカー人生が変わる。そういう意味で、これからの選手たちのためにも、まずは早くJFLに昇格しなければと強く思う。 

-東日本大震災で被災した石巻地方にとって、両チームの活躍は復興のシンボルにもなってきた。 

 伊藤>震災を直接体験した現役の選手はもういないが、石巻川開き祭りの灯籠づくりのボランティアなどに取り組む中で、選手それぞれが震災について考えている。われわれは頑張って野球をすることで、間接的にでも地域を元気付けられたらいいと考えている。 
 今の若い選手はしっかりしていて、こちらから何も言わなくとも、オフの日に旧大川小などの震災遺構に足を運び、当時何が起きたかなど震災について学んでいるようだ。 

 葛野>東北1部の他チームで監督をしていた2014年、コバルトーレと対戦するため初めて女川を訪れ、震災被害の大きさに衝撃を受けた。今も鮮明に覚えている。 
 震災で活動停止に追い込まれた後、コバルトーレは一度JFLに上がるなど着実に力をつけてきた。それは地域の皆さんが頑張って今のチームを作ってきたから。JFLに再昇格することにより、そんな女川の力を再び全国に示すことができる。そうした使命感をチーム全員が強く感じている。

日本製紙石巻

 1986年、十條製紙石巻工場で「十條製紙硬式野球部」が発足。93年に十條製紙と山陽国策パルプが合併して日本製紙が発足したの伴い、現チーム名となった。2010年、社会人野球の頂点を決める都市対抗野球大会に初めて挑み、これまで出場6回。最高成績はベスト8。野球教室や地元高校生との合同練習会など地域貢献活動も積極的に展開している。

コバルトーレ女川

 2006年発足。チーム名は「青い(コバルトブルーの)海」と「森(スペイン語のフォーレ)」をイメージした造語。スポーツを通じた地域活性化に向けて、将来のJリーグ参入を目指している。18年は全国リーグの日本フットボールリーグ(JFL)に参戦するも、1年で降格。現在は東北社会人1部リーグに所属する。本拠地は女川町のWACK女川スタジアム。

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