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滔々と 私の大河 > 須能邦雄さん 特別編・相撲甚句 功績盛り込み作詞、披露

 順番通りなら船団長だったころを振り返るべきだが、新年1回目なので、私が祝いの席で披露している相撲甚句について話そうと思う。

2018年の新年賀詞交歓会で相撲甚句を披露する須能さん=石巻グランドホテル

 相撲甚句は、相撲の世界に伝わる伝統的な文化の一つで、地方巡業などで力士が披露する七五調の俗謡のこと。江戸時代から力士の間で歌い継がれ、本場所では披露されないが、地方巡業などの余興で人気を博し、一般に広がったという。

 「あーどすこい、どすこい」と、おなじみの合いの手があり、地方巡業の哀歓、母の待つ故郷に錦を飾りたい思いや各地の名所旧跡が歌詞に入るなど、力士の応援歌のようなものだ。新弟子が通う相撲教習所でも教わっているようだ。

 私が職場で初めて相撲甚句を披露したのは20代のころ。大洋漁業(現マルハニチロ)の忘年会などで先輩や上司から何かやれと言われて歌った気がする。

 当時は社内に詩吟教室があり、歌が好きだった私は同僚に付き合う形で参加していた。大きい大会が終わった後に打ち上げと称した飲み会が開かれ、その席で相撲甚句を歌ったこともある。

 作詞を自分でやりだしたのは40代。駐在員としての勤務を終えて日本に戻ってきたころだった。きっかけは姉の夫が60代で亡くなってしまい、姉から「出棺の時に好きだった歌で送り出してほしい」と依頼されたことから、どんな人だったかを思い出して作った。

 作詞のポイントは、その人のいいところ、印象に残っていることを紙に書き出す。そうすることでイメージが湧き、あとはリズムに乗せるだけになる。

 初めのころは一つ作るのに数カ月もかかってしまっていたが、慣れてくると七五調の呼吸が分かるようになり、時間がかからなくなった。

 船団の幹部になってからも宴会に呼ばれることが増えたので、相撲甚句を披露する機会も増えた。

 普通の人はカラオケをするとなれば、みんなが知っている選曲をするだろう。ただそうなると、うまいとか下手だとかと評価されてしまう。私は人がやらないものの方が注目を集められ、場も盛り上げられると思い、相撲甚句を歌っている面もある。

 石巻に来てからも披露する場があれば積極的に歌ってきた。水産業界で誰かが表彰され、祝賀会があった時は、新聞などに出てこない情報を盛り込んで歌うことを意識する。そうしないと誰がやっても同じになってしまうからだ。

 大きな会議の締めくくりなどでも、主催者側から求められれば断らない。少しでも石巻魚市場が誰かの記憶に残ってくれればと、PRのような形でやってきた。自分の武器のように自信を持って歌えるようになったのは石巻に来てからだと思う。

 ほかにも、石巻市と石巻商工会議所が開く新年賀詞交歓会でも毎年歌っている。拍子木を手にしてその年の干支(えと)をテーマに作った相撲甚句を歌うのだが、十二支を1周しているはずなので、今年は少し思考を変えた。

 石巻の偉人をテーマにしたいと思い、石巻市出身で、米アラスカの原住民らを救ったフランク安田、同市蛇田出身の人権派弁護士・布施辰治、同市出身の彫刻家高橋英吉の3人を選んだ。彼らの功績や石巻愛が少しでも伝わったらうれしい。

 相撲甚句を作る時は梅里石雪というペンネームを入れる。出身地の水戸で有名な梅と石巻の石、名字と同じ読み方の英語「スノー(雪)」をかけるなどしている。こういった部分でも誰かの印象に残ればと思い、工夫しながら披露している。(前石巻魚市場社長)

須能さんが歌った相撲甚句の歌詞。石巻の偉人3人をテーマに作った

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