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もう一人のフランク安田(3) 乗船名簿 ベアー号に同乗、1年半

宇土さんが入手したベアー号の乗船記録=1891(明治24)年=。同じページに2人の名前がある

【元石巻・湊小校長 遠藤光行】

 『阿部敬介小伝』を自費出版した宇土康宣(うどやすのり)さんの調べでは、阿部敬介は旅券を取得しているが安田恭輔は取っていません。このことからも恭輔の下船が唐突だったことがうかがえます。阿部は、米カリフォルニア州立中学校に入学し、恭輔は単純労働で金を稼げるサンフランシスコ郊外の農場に就職しました。

■気象観測を担当

 阿部は、1年半後に鉄道業務を学ぶため鉄道会社を受験したのですが、当時施行された「中国人排斥法」を理由に拒否されたのでした。仕方なく、米国大蔵省税関局巡羅艦(じゅんらかん)ベアー号による日本人船員募集に応募し、採用されました。この船はアラスカ沿岸をパトロールする監視船で、クジラやオットセイ、ラッコなどの密漁監視をメインに、極北の気象観測やエスキモー(イヌイット)など先住民への食料供給も業務としていました。

 船内の図書を熱心に読みあさる阿部を見てヒーリー艦長(小説『アラスカ物語』ではなく、宇土さんの表記を採用)が手ほどきをし、気象観測の業務に就かせたとのこと。

 ところで、この船にはアラスカ先住民研究で著名なシェルドン・ジャクソン博士が乗船していました。米国はロシアからアラスカを買い取ったものの先住民の救済に苦慮しており、博士はその方策を託されていたのでした。

 博士は、先住民の食料確保と生活の安定の両面からシベリアのトナカイに目を付け、これをロシアから買い求めアラスカに移入し、増殖する計画を進めていたのでした。阿部はベアー号で博士を手伝う中で、肉がおいしく繁殖力の盛んなトナカイの有用性を熱く語る博士の姿勢に次第に感化されていったようです。「人間の自活には食料と経済が必要であり、その手段としてトナカイ移入が有効である」と確信するようになりました。

■信頼得て会計に

 ベアー号に乗船して2年、阿部はヒーリー艦長の絶大な信頼を得て艦長官房に推挙され、さらにはベアー号の会計兼庶務係に任命されました。

 ベアー号は「フランクが乗っていた船」だと考えていましたが、宇土さんの調査ではフランクより先に阿部が乗船し、しかも要職に就いていたというのです。

 そのため宇土さんは「阿部が、恭輔に声をかけ、ベアー号へ誘った可能性がある」と推察しています。

 そして、なんと宇土さんは2人の名前が併記されている乗船名簿を探し出したのです。取材の時、そのコピーをいただいてきました。同じページに「K.Abe」、「K.Yasuda」とあり、2人とも国籍が「Japan(日本)」とあります。

 ただし、恭輔が乗船した場所がアラスカの「ポイント・ベルチャー」となっており「乗船地に違和感があるので、もう少し調べる必要がある」との見解を述べています。

 小説では恭輔が募集広告を見て自ら応募したとあり、日本人が乗っていたことなどどこにも書いてはありません。しかしながら、宇土さんによって2人は約1年半、一緒にベアー号に乗っていたことが判明したのです。

 阿部が誘ったかどうかは判断できませんが、2人はベアー号で2度目の出会いとなったのです。なお、恭輔はこの乗船をきっかけに「フランク安田」を名乗ったようです。

 ところで、阿部が乗船していたのであれば、「食料横流し嫌疑」によってフランクが窮地に立たされるはずはないと考えますが、そのあたりは次回とします。

米国の監視船ベアー号

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