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もう一人のフランク安田(6) ジャパニーズ・モーゼ 村民200人、800キロの大移住

フランク安田(左)とトム・カーター
新天地に向かう村民ら(イラスト・元湊小教諭の小野藍さん)

【元石巻・湊小校長 遠藤光行】

 米国には3度のゴールドラッシュがあったといわれます。第1次はカナダとの境にあるドーソン周辺、第2次はベーリング海に近いノーム周辺、第3次が中央部タナナ川流域。一獲千金を夢見るヤマ師たちがお供を連れてアリの行列のように山に入っていく写真があります。

 フランク安田が途方に暮れていたのはこの第3次ゴールドラッシュの最中で、トム・カーターと名乗る米国人がアラスカ「ポイント・バロー」に来ていたのです。フランクは交易所のブロワー所長の紹介でこの男と知り合い、金探しを誘われました。信用できるか悩んだものの、妻ネビロが命を狙われ、救ってもらう場面があり、決心したのでした。

 「見つけたら山分けする」という言葉を信じ、契約書にサインし、お供を連れて内陸部に入ることにしました。この時、金を探しながら移住先を見つける目的もあったので女性の視点も必要と考え、ネビロも同伴したのでした。

■金鉱ついに発見

 この金探しの旅の途中でフランクは2人の日本人と出会います。ジョージ大島と、ジェームス・ミナノという人物です。2人とも金探しにやってきていたのです。ジェームス・ミナノとは旅の途中で資金を稼ぐために一時期レストランで一緒に働き、その後別れました。ジョージ大島ともいったんは別れたのですが、のちに助けが必要となりわざわざ探して協力を求めることとなるのです。ジョージは、その後もフランクと関わりを持ち続け、ビーバー村から少し離れた湖のほとりで生涯を過ごしたらしく「ジョージ湖」という地名も残っているのです。この時期に金を求めてアラスカの内陸部に複数の日本人がやって来ていたというのですから驚きです。

 一行はやがてカーターとフランク夫妻とに分かれて金探しをすることになり、小説ではかなりの紙面を割いていますがその過程は省略します。およそ2年後、フランクとネビロがとうとう金鉱を発見し、シャンダラー鉱山と名付けてカーターが早速金の採掘を始めることになりました。一方フランクは鉱山から90キロほど離れたユーコン河の岸辺を移住地候補とし「ビーバー村」と名付けたのでした。

 この場所がアサバスカンインディアンの居住区だったので、インディアンと親交のあるジョージの力を借りて了解を取り付けたのでした。その時、ジョージはこの土地を買い上げて登記し、移住の前にロッジや交易所、倉庫などを建設しておくようフランクにアドバイスしたとのこと。

■ビーバー村到着

 フランクはこれらをカーターに依頼した後、ポイント・バローに戻り、希望するエスキモー約200人を引き連れ、約3年がかりで大移住を成し遂げたのです。標高2000~3000メートルもの氷と雪に覆われたブルックス山脈を越えて直線で約800キロもの大移住でした。「何度も往復しながらの旅だったため期間もかかり難儀もしたが、誰ひとり不満を言うものはなかった」との証言がインターネット上にあります。

 ビーバー村にたどり着いたのは1908(明治41)年ごろでした。のちに米国の新聞がこの大移住を成し遂げたフランクを「ジャパニーズ・モーゼ」とたたえたのです。

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