もう一人のフランク安田(7) ビーバー村の生活 清廉な人柄で村民守る
【元石巻・湊小校長 遠藤光行】
米アラスカのビーバー村で村づくりが始まったのは、フランク安田が40歳のころでした。雪や氷のイグルーではなく、暖炉付き丸木小屋のベッド生活に切り替え、肉も生食から焼いて食べるように改めました。狩猟対象のムース(ヘラジカ)の肉は生食ではまずかったので切り替えはスムーズにできたようです。
難題は、エスキモー(イヌイット)の「妻貸し」という習慣でした。フランクと妻ネビロの2人は、これを「村の掟(おきて)」として固く禁止することとし、守れなければ村から出て行かせるという厳しい態度で臨んだようです。
■今も掟の「禁酒」
さらに、小説には出てきませんが、今も守られている掟は「禁酒」です。2008年のメモリアルポトラッチ(法要行事)の時でさえ、お酒は出なかったとのこと。フランクを顕彰する市民団体「フランク安田友の会」の故藤間京緑(きょうろく)会長は「インディアンと共存の村づくりを進める上で、トラブルを避けるための禁酒だったのではないか」と話していました。
次にユーコン河を上ってくる交易船から荷物を受け取るための桟橋の整備やシャンダラー鉱山へ荷物を輸送する馬走路の整備にも取り組みました。こうした村づくりの傍ら、フランクは村の要職を一手に引き受け、産婆(助産師)以外の用務は何でも請け負ったといいます。当時交易所でフランクが使っていた帳簿が残されていますが、実に達筆な英文字が書かれており驚かされます。近くに居を構えたジョージが陰で結婚をけしかけたこともあり、村はインディアンとの融合も進み人口は300人ほどに増えていきました。
生活が落ち着いた50代前半ごろ、フランクは石巻の兄清安(せいあん)に手紙を出し、帰国を促す返事をもらったのですが、ネビロが強く反対したので亡くなるまで故郷石巻に戻ることはありませんでした。間もなく、米国人トム・カーターはシャンダラー鉱山を手放すことになり、最後の分け前としてフランクは約5万ドル(約1億円弱)を渡されました。この時、カーターからこれを元手にアメリカ本国での事業を勧められましたが「ここを見捨てるわけにはいかない」と断ったのでした。
1920年ビーバー村に飛行場ができたので、フランクは村人から毛皮を集め、ロサンゼルスなどで売ってあげました。多い時には年に3000枚も扱い、相場を左右するほど力をもっていた時期もあったといいます。さらにミンクの養殖や野菜栽培にも取り組んだのでしたが、失敗に終わりました。
■催促なしで金貸す
また、フランクは困っている人には差別せず金を貸したそうですが催促しなかったので、皮肉を込めて「アラスカのサンタクロース」と呼ばれたようです。そんなわけで、フランクは分け前として得た莫大なお金をすべて使い果たしてしまったのです。こうした父の生き方に対して四女ハナは「父はエスキモー以上にエスキモーらしい人だった」と評価したといいます。
晩年、太平洋戦争のあおりを食って収監されたフランクのために心あるアメリカ人たちが嘆願書を出したのですが、フランクは断ったといいます。
釈放されて村に戻ったフランクは再び村の役職を担いながら娘たちからの送金でほそぼそと余生を送り、58(昭和33)年1月、ネビロに見守られながら90歳の生涯を終えたのでした。
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