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もう一人のフランク安田(8) フランク没後の石巻 青年の情熱で再び注目

日和山公園に歌碑(左)と並んで立つ顕彰碑
ビーバー村で披露された日本舞踊=2008年

【元石巻・湊小校長 遠藤光行】

 フランク安田は、没後31年が経過した平成元(1989)年、米アラスカ州議会からその業績と人柄が認められ表彰状が贈られました。石巻市は表彰状のコピーと日本語に翻訳したものをセットにして各小学校に配布しました。学校では郷土の先人の尊い志を学ばせようと各教室の黒板の上の壁に掲示し、子どもたちに啓発したのでした。

 それから18年、フランクがつくったビーバー村と石巻がつながったのです。

 東京都出身の里見亮さんからの一本の電話がきっかけでした。彼は中学生の時に『アラスカ物語』に感銘を受け、大学卒業後に就職したものの当時の感動を忘れられず、会社を辞めて、2000年にアラスカに渡りました。オーロラツアーガイドなどの仕事をしながらビーバー村と親交を深める中で、フランクの五十回忌に石巻市民を呼んで、村で行われるメモリアルポトラッチ(日本の法要)をやりたいと考えたのです。

 併せて、ビーバー村の子どもたちをフランクの故郷石巻に連れて行きたいと考え、現地の校長に打診したところ、懸賞論文に応募して資金調達にメドをつけたそうです。里見さんはこの後、石巻の電話帳で見つけた舞踊家藤間京緑さん(後のフランク安田友の会会長)に電話をしたとのこと。この一本の電話でビーバー村と石巻がつながったのです。

■法要に市民参加

 石巻市で「メモリアルポトラッチ実行委員会」が結成され、西條允敏(まさとし)さんが会長となり、次の三つの事業が展開されました。

(1)修学旅行隊の受け入れ 
 2008年4月、ビーバー村から子ども、教師、保護者など11名がやってきました。まだ存命中だったフランクのおいの一人娘で、石巻の安田家の最後の当主安田静子さんと面会した後、石巻市湊小を訪問して授業を参観したり、ゲームやダンスで交流したり、校庭に記念植樹もしました。夜は市内のホテルを会場に大勢の石巻市民との交流会を開催しました。

(2)ビーバー村の訪問と法要 
 08年8月、ビーバー村で開かれた「メモリアルポトラッチ」には石巻から総勢27名の市民が参加しました。村の小学校に宿泊し、藤間さんのお弟子さんたちによる日本舞踊や石巻日高見太鼓の演奏などを披露して交流し、参加者全員でフランク安田夫妻のお墓に手を合わせました。

(3)顕彰碑の建立 
 10年1月には石巻市民の憩いの場である日和山公園の一角に顕彰碑を建立しました。日和山には『アラスカ物語』を執筆するために取材で訪れた新田次郎が詠んだ歌碑が建っていましたので、その隣に並ぶように建立したのです。

■小学校で劇上演

 子どもたちへの啓発を目的に独自の取り組みに動いた学校もありました。ビーバー村の訪問団に参加した山下小の高砂宏之教諭はフランクを題材にした脚本を作り、秋の学習発表会で上演しました。その後、劇は関心のある学校から引き合いがあり、長く上演され続けているとのことです。また、フランクの母校である湊小では道徳の自作教材を作成し、6年生になったら道徳の授業で必ず一度はフランク安田を学ぶよう位置付けたのです。

 このように、石巻では里見さんのおかげでフランクが再び注目されたのでした。

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