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子育てと介護の縁側・今日も泣き笑い(30) 運転からの卒業 免許返納、60年間を回顧

新しく発行してもらった運転経歴証明書を見つめるせんじい。タクシーの割引などさまざまな特典があるそうです
あま音とお買い物デート。移動中の車内ではしりとりをしたり、おしゃべりをしたり、楽しそうです

【石巻市・柴田礼華】

 先日、義父せんじい(86)の運転免許証返納と自分の国外運転免許証の申請のため、2人で石巻運転免許センターに行ってきました。

 せんじいは3年前までは毎日のように車の運転をしていましたが、もうこの先運転をすることはないだろうと考え、免許を返納することにしました。私は3月下旬から4月初旬にかけて、夫が代表を務めるNPO法人「にじいろクレヨン」のアート活動の関係でドイツとフランスに行くことになり、国外で運転できるように手続きをしてきました。

 せんじいは最近、視力がぐんと落ちて、文字を書くことが難しくなったため、私が申請書を代筆しました。身分証明書として使える運転経歴証明書の発行手続きも終わり、2人で窓口に行くと、係の方から「滋さんは昭和40年(1965年)に免許を取得されて、今年で60年目でしたね。長い間安全運転お疲れさまでした」と声をかけてもらいました。

■多種を乗り継ぐ

 せんじいの運転の歴史は27歳に始まったそうです。登米市にあった上沼農業高校に体育教師として勤務していた時、校庭内に自動車の練習場があったそうで、3年生の生徒に混じって自動三輪車で運転の実技練習をし、登米市の試験場で免許試験を受けたそうです。

 その後、まずは自動二輪、いわゆるオートバイに乗り始め、スバル360、スバルレオーネ、スバルドミンゴ、トヨタのエスティマ、トヨタのアイシス…といろんな車に乗ってきたそうです。

 最初に乗ったスバル360は小型の軽自動車で、荷物を積むスペースが狭かったらしく、毎年、親戚が住む秋田に石巻の海産物を持って行き、帰りにお米や野菜をもらって帰る時は、荷物を車の上に乗せて行き来していたそうです。

 その後、家族も増え、剣道部の顧問として生徒たちを連れて、また自分も選手としてあちこち遠征するにあたり、大きなファミリーカーに変えて、日本全国いろんなところを運転したそうです。遠くだと国体参加のために静岡までハンドルを握ったこともあったとのこと。

■津波で水没被害

 教員を退職後はセダンタイプに乗り換え、デイサービスの農業指導者として働いていた2011年に東日本大震災で被災。当時乗っていたアイシスは、石巻市門脇町の自宅に置いて日和山に徒歩で逃げたそうです。アイシスは後日、自宅前の北上川の水中で見つかり、さらにその後、雲雀野海岸に引き上げられたと連絡が来て、残っていた車検証などを回収したそうです。

 今回、長い長いせんじいの運転の歴史をゆっくり聞けて、新鮮な驚きや学びがありました。

 運転を卒業したせんじいに代わり、これからは私や夫がせんじい、義母レツさん、娘のあま音、しお音を乗せて安全運転に努めたいと思います。

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