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在りし日思う 東日本大震災14年 犠牲者悼み、石巻地方各地で祈り

 東日本大震災は11日、発生から14年を迎えた。関連死を含む死亡・行方不明者が5997人を数える石巻地方では、墓地や海で、慰霊碑の前で、遺族や市民が在りし日の大切な人を思った。

 石巻市と東松島市は追悼式、女川町は自由献花形式の「追悼のつどい」を開いた。地震発生時刻の午後2時46分、暖かな陽気に包まれながら各地で人々が祈りをささげた。

 年月とともに記憶の風化が進む中、国や自治体は次の災害への備えを急ぐ。災禍の記憶と教訓を伝える取り組みは、一層重みを増していく。

■石巻市

石巻市慰霊碑に手を合わせる市民ら。家族や友人の名前を探し、花を手向けた=11日午後2時ごろ、石巻南浜津波復興祈念公園

<安らかに 花手向ける>

 石巻市の追悼式は石巻南浜津波復興祈念公園内の市慰霊碑前であった。遺族代表や来賓ら約70人が出席。震災発生時刻に防災行政無線のサイレンに合わせて黙とうした。

 斎藤正美市長は式辞で「震災の経験と教訓を次の世代へ伝承することが私たちの責務。世界中の災害から1人でも多くの命が守られることを願う」と述べた。

 多くの遺族らが訪れ、慰霊碑に刻まれた名前に手を合わせた。弟家族4人を亡くした同市あゆみ野の無職桜井好子さん(84)は「弟は5人きょうだい唯一の男の子で家族に大切にされていた。『見守っていて』と伝えたい」と話した。

 市は河北、雄勝、河南、桃生、北上、牡鹿の各地区にも献花台を設けた。

東松島市

献花し、祭壇に手を合わせる遺族ら=11日午後3時15分ごろ、東松島市コミュニティセンター

<心、寄り添い続ける>

 東松島市の追悼式は市コミュニティセンターであった。遺族ら約300人が参列し、行方不明23人を含む1133人の犠牲者を悼んだ。

 渥美巖市長は式辞で「亡くなられた方の無念と遺族の悲しみを思うと痛恨の極み。震災伝承を責務と捉え、これからも被災者に寄り添う」と述べた。

 参列者は地震発生時刻に合わせて黙とうした。来賓の式辞の後、一人一人祭壇に献花して手を合わせた。

 同市大曲の近藤はまこさん(77)は、津波で長女の由美さん=当時(29)=を亡くした。1カ月後に結婚式を控えていたという。近藤さんは「毎年追悼式に来ているが、娘を思う気持ちは震災当時と変わらない」と話した。

女川町

追悼のつどい後に献花する町民ら=11日午後3時ごろ、女川町東日本大震災慰霊碑前

<海見つめ、冥福祈る>

 女川町は町役場敷地内の震災慰霊碑前で「追悼のつどい」を開いた。参加した町民らは慰霊碑に刻まれた亡き人の名前をなでたり、海を見ながら手を合わせたりして冥福を祈った。

 同町鷲神浜に住んでいた母の相沢寿(とし)さん=当時(74)=を亡くした会社員牧野文彦さん(47)=京都市=は「14年は長いようで短い。母は気遣い上手の人だったので、自分も同じように生きることが親孝行だと信じている」と話した。

 地震発生時刻にはサイレンに合わせて参加者が黙とう。須田善明町長は「一人一人が悲しみを減らし、笑顔を増やすことが、今を生きるわれわれのすべきことだ」と追悼の辞を述べた。

 役場内では震災前後の町並みをパネルで紹介した。

            ◇

遺族らが訪れた、合掌した手のひらをイメージしたモニュメント=11日午後1時35分ごろ、雄勝地区震災慰霊公園

 患者と職員ら計64人が犠牲になった石巻市雄勝病院跡地の慰霊公園には、遺族が次々と訪れた。

 看護師だった母の佐藤明美さん=当時(47)=を亡くした大崎市の会社員大沼麻衣さん(37)は、子ども2人と共にモニュメントの前で目を閉じた。「いなくなったことを受け入れられていない。今もいてくれたら楽しかっただろうな」。中学3年の長女は明美さんと同じ看護師になる夢を抱くようになった。「いつも明るかった母のようになって、娘のことを応援したい」と話した。

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